サニーの兄弟車パルサーは、乗るまでもなく、これでは敗戦処理にしか見えない。ペルーアストラといったあたりがライバル、といえば聞こえはいいが、内実は大きさが同じであるというだけの話かもしれない。旧型のときは、外からの見た目といい内装の質感といい「これなら向こうでもイケるのでは」と思わすものがあった。向こうの。本物に負けないものを感じさせたし、また走りの素性もよかった。バブル景気の勢いがあったにせよ、な
地で行く悲しい変身ぶり... の続きを読む
友達と久しぶりの再会。少しでも若々しくキレイなところを見せようと気合を入れてメイクをしたのに、それが逆効果になってしまうことはありませんか。毛穴に塗り込んだはずのコンシーラーがポツポツ浮き上がり、ファンデーションがシワにたまって大目立ち。化粧直しをするほど肌が乾燥して象の皮?みたいにひび割れて、シミを隠そうとしたコンシーラーが肌色に合わす、逆にシミの場所を教えている……。こんなベースメイクの失敗を
カバーしているつもりでも、実はとても目立つベースメ... の続きを読む
可燃ごみや、資源物に入らなかったごみの多くは焼却されるが、焼却自体も、その余熱で発電をする、ビニールハウスに温風を送るといった具合に利用する。札幌の清掃工場では、道路の下に熱湯の通るパイプが埋められていて、雪が積もらないように利用している例がある。その清掃工場の隣にある公営住宅には、暖房用の焼却エネルギー(スチーム)、が供給されている。あとには焼却残灰か残るが、その中にある鉄類は取り出し、焼却残灰
ごみ処理段階におけるリサイクル... の続きを読む
大阪市立衛生試験所(現環境科学研究所)では一九二〇年ごろから十数年間、後に東京市に移籍した岩橋元亮工学博士などが全国に先駆けてごみ処理の研究を行ってきました。私はそれを復活するために、一九五〇年に二〇歳をすぎたばかりで実質的に研究を任せられました(当時の上司は後の京都大学教授の庄司光医学博士)。衛生学的な分野以外は相談する相手もないままで、清掃行政部局と兼務して、若さに任せて工学的、実学的な研究を
リサイクルの黎明期... の続きを読む
縦列駐車は得意な人と、不得意な人がはっきり分かれるところだ。私は昔からこれが得意中の得意で、六十歳を超えたいまでも一発でスパッと決めることができる。こいつばかりは、若いころに身体で覚えたことがいまだに役立っている。縦列駐車が下手な人は、おおかたが左フェンダーをぎりぎりこする寸前まで、ハンドルを切ることができないからだ。縦列駐車は、最初にハンドルを左へいっぱい切って、リアを空いているスペースへ入れ、
縦列駐車について... の続きを読む
仮住まいは建築地からすぐ近くの一軒家。戸建ての生活は、マンションと異なり近隣との人間関係が身近となり、土地・環境への関心も今まで以上に深まった。家づくりを具体的に考え始めて半年ほどの二〇〇二年五月に土地を借入した。風致地区、開発がらみで申請に手間取り、また高台にあり、地下室をつくるということもあって地盤にかなりの時間を要した。だいぶ遠回りしたような気分になっていたが、土地購入から完成まで一年ちょっ
恵まれた自然環境の立地にとても満足... の続きを読む
「半返し」も今や省略傾向。結納も両家が納得するやり方でアレンジしましよう。異なる地方のふたりの場合、新婦からの返礼方法と額にかなりの差があるので、頭を悩ませるところ。全国的には、現金によるお返しは省略されるようになってきました。記念品という形でお返しをしたり、結納金をふたりの新生活の準備金や新婚旅行費として使えばいいのです。地城の伝統を重んじる家なら、新婦側か新郎側のしきたりに合わせたり、前もって
お返しの相場はいくらぐらい... の続きを読む
東大理系出身の家庭教師として、これまで1000人以上を教えてきた私も、かつては記憶することが苦手でした。しかし、いま思えば、そう思い込んでいただけでした。私の子どものころのことです。その当時、母が毎日のように私を近所の周辺まで散歩に連れていってくれて、その道すがら、いろいろな植物の名前を教えてくれました。もちろん、母は全部の名前を知っているわけではありません。そこで私は、家に帰ったら、かならず植物
私もかつて「記憶するのが苦手」と思っていた... の続きを読む
平成一一年四月に、大改正された労働基準法が施行されました。その特徴を具体的にいうとその一つは、元来割増賃金を取得する立場の労働者の権利と生活を保護することを主限においてきた労働基準法が、これからは管理職や専門職を含めたいわゆるホワイトカラーの実態とその対応に目を向けなければならなくなってきているということです。もう一つは、労働者の権利と生活を侵害する違法行為を取締り罰するという、いわば刑事的側面を
大改正された労働基準法... の続きを読む
労働者派遣法は1985年7月に制定された後、1年間の準備期間を経て1986年7月1日に施行された。法施行後まもなく、日本経済はバブル景気となり、モノやサービスに対する需要は年を追うごとに拡大した。同時に、それらを生むための人材の需要も急激に拡大していった。バブル景気の後期には深刻な人手不足となり、人材需要は人材派遣会社に洪水のように押し寄せた。そしてその人材の宵要は、本来、派遣先企業が直接雇用する
人材需要は人材派遣会社に... の続きを読む