黒歯美人から白歯美人へ

2011.03.31

平安時代に上流貴族に定着し、江戸時代には庶民の女性にまで普及していたお歯黒の歴史は、明治になると、華族にお歯黒禁止令が出ることで終わりに向かう。開国によって外国との交流が始まり、お歯黒を野蛮なものと見下す意識が強まって、やがて明治末期になるとお歯黒をする人もなくなっていく。が、なにも外国の影響がなくても、江戸時代後期には、白い歯を美しいとする意識も芽生えていたようだ。一八二八年の鈴木牧之の『秋山紀行』は、田舎の美しい三十女をこのように描いている。「着ているものはひどいが、その容貌はすぐれ、鼻はほどよく高く、目は細く、蛾のような眉、顔はいささか日に焼けているように見えるが、お歯黒をつけない歯は雪よりも白く、若者はひと目見れば恋心を抱くような風情。あたかも泥の中の蓮の花、雨にはころぶ蜀薬の花のようだ」と、天然の白歯美人をベタ褒めだ。江戸時代でも田舎ではお歯黒をしない婦人がいて、それは当時の人にとっては新鮮な美しさとして映っていた。もっともこれは作者固有の趣味やもしれず、同じ鈴木牧之の『北越雪譜』二八三七年)には、やはり田舎美人の「白い歯がぴかぴかとして笑う姿は白芙蓉が水を出て、微風に揺れているようだ」という描写もある。しかし鈴木牧之の紀行モノは当時のベストセラーでもある。こうした田舎の風俗が奇異なゲテモノでなく美しいモノとして描写された本を、都会人は喜んで受け入れていたわけで、開国を受け入れる準備は、美意識の点でもととのっていたのだ。にしても、躍起になって白い歯を守る現代人を見たら、お歯黒が当たり前だった平安貴族は「気持ち悪い」と思うわけで、時代が変われば美意識も変わるという好例が、お歯黒の風習だといえる。そう考えると、美白を含めた美容は、楽しめればそれで良いのであって、あまりこだわるのもでもないという気がする。
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