リポーターは注意書きを付け加えるのは自分の記事の価値を下げるようで気が進まない。ある研究で弱い危険が発見された場合、リポーターはどんなにその危険が小さいか、だからどんなに疑わしいかを強調することはなさそうだ。もしそうするとしても、こういう但し書きは通常は記事の終わり近くにさり気なく書かれる。但し書きは、どこの社よりも早く載せる特ダネ記事に全くふさわしくない。このようにして、中程度の肥満とか、赤身の肉を食べるというような弱い危険は、喫煙、大酒飲みというような強い危険と同程度に強調されるかもしれない。そうなると、人々は強い危険にも弱い危険にも等しく強く反応する。その上、メディアの報道は最も強い印象を与えるやり方で、危険を表現するようである。例えば、「GUSTOの治験」と呼ばれた最近の研究で、心臓発作を治療するのに2種類の抗血液凝固剤を比較した。そのうちの一つはtーPAいう薬で、もう一つはストレプトキナーゼだった。治験の終わりには、ストレプトキナーゼを投与された患者は7.3%が死亡し、tーPAを投与された患者は6.3%が死亡した。この1%の改善は大きな差とはとても言えないが、実際は、別の言い方で報道された。つまり、心臓発作を起こさずに生き残る確率がストレプトキナーゼ投与の92.7%から、tーPA投与の93.7%に向上したことがその研究で示された、という表現で報道された(いずれにしてもどちらの薬もかなりよい確率だ)。同じように、tーPAは死亡率で14%の減少と関連がある、と述べても正確だろう。どういうわけかこのように表現されると、その発見ははるかに印象的に聞こえる。それこそがメディアの表現法の傾向だ。読者に向かって、たったひとつの研究からの小さな〈結果〉のニュースを過度に熱狂して信じないようにリポーターが警告を発する時でさえ、見出しを書く記者は違ったことを考えるかもしれない。「ボストン・グローブ」紙には、tーPAの発見は次のような見出しで報道された。生命を救う抗血液凝固治療の発見。一応は正しいのだが、tーPAの〈結果〉は大きい母集団に適用される時だけ意味があった。個々の患者に対しては、その薬は生存確率をほんのわずか増すだけだった。
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